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いじめる人は知能が低くて心も狭くてコミュニケーション能力も低いってこと

思考 人間

昨日youtubeで、世界仰天ニュース的なタイトルのTV番組の動画をみた(普段TV観ないので正式名称覚えてない)。内容は、「大逆転!プリンセスになった女子高生」。

 

リーダー的な女子から目を付けられてる主人公(?)が、嫌がらせで、あるイベントの「プリンセス」に選ばれてしまい、めげそうになっていた。ところ、主人公の応援サイトが立ち上がり、全米から応援の花やメッセージが届き、イベントのドレスを特注で作ってくれるメーカーとかまで現れた・・・という話。

 


「プリンセスになった女子高生」ザ!世界仰天ニュース - YouTube

 

これを見て、私は「んー?」と何ともいえない微妙な気持ちにはなったのだけど、コメント欄をみて色々と勉強になった。そう、最近ニュースとか動画とか、ネットの至る所で個人の感想が述べられるようになってるけど、あれすごくいいと思うの。匿名性高いゆえ、すごい汚い言葉とか乱暴な言葉とか使う人いて、それはどうなんだろうとは思うけど、真面目なコメントとか見ると、「こういう風に考える人もいるのねー」と勉強になる。

 

で、この動画のコメント欄では色々意見あったのですが、自分としては、「いじめる人の心理」について考えてて。そういう私も小学生の頃、いじめをしていたこともあるのですが・・・。

 

というのも、最近読み終わった「嫌われる勇気」の中で、自分にとっては新しい視点が書かれてたので。それは「怒りはコミュニケーションの一形態」だということ。「怒りっぽい人は、気が短いのではなく、怒り以外の有用なコミュニケーションツールを知らない」んだということ。*1

 

これ読んだとき、確かにぃぃぃぃぃー!と、なんだか頭ん中、ぶれいくするーした感じしました。「怒りは目的を叶えるための手段」だと。確かにすぎます。言葉を話せない赤ちゃんが、とりあえず泣くってことと同じかと。怒っとけば皆言うこと聞いてくれるから、みたいな。

 

つまり、論理的に相手を説得したり、協力してもらったり、自分の意見を伝えること、つまり知的に物事を進めていくことができない人は、怒るしかないのだなと。

 

で、動画をみて、コメント欄をみて、「なんでいじめってあるんだろねー」と考えてみたら、思ったわけです。「怒り」と「いじめ」と、同じ原理なんじゃないかなと。

 

そもそもよくあるいじめの理由(まぁ理由になんかならないけど)ってなんだろーと考えてみると、大きくこの3つに分けられるのではないかと。(私の個人的な見解ですが)

 

1)本人の容姿、見た目(美醜とか、清潔さとか?動画でも、髪の毛の色がどうとか言ってた)

2)本人の言動(ちょっとゆっくりしてるとか、周りに迷惑かけがちとか、KYとか)

3)家柄、親族など(未だに部落差別というものがあるのかどうかしらないけど)

 

大前提として、いじめをしちゃう人は、知能が低くて心が狭いのですね。「人間はみんな個性があって、価値観や考え方が違う」とか「同じ人間はいない」とかそういう当たり前のことを理解できなかったり、受け入れることができないので。あと、これ言ったらorやったら、相手がどういう気持ちになるだろうっていうことが、想像できない。想像力がない。これ無知の典型ですね。なので、上記1~3の理由が多くなるのではないかなと。

 

そして、無知・狭心に加えて、これですよ。「いじめ以外の有用なコミュニケーションツールを知らない」。仮に、自分の気に入らない何かが、いじめられる人にある(ように見える)のだとして、それなら「自分はこう思ってる。なぜならあなたのここがこうだから。だからこうして」って言えばいいよね。論理的に指摘したらいいよね。それができないから、いじめっていう卑劣な方法で、相手を傷つけるんだ。

 

後は、何か自分の満たされない欲求(自己顕示欲とか承認欲求とか)をうまく処理できなくて、いじめという形で発散させるという。これもコミュニケーション能力の不足によって起きる気がする。自分の気持ちを正しく認識できず、正しく伝えられないってことだもんね。

 

というわけで、いじめっこは残念な3低だったということだけど、私自身はそんな彼らにも、根本的な原因があるわけでないと思ってはいます。そうせざるを得なかった、環境が問題なんであって。犯罪者と同じ。罪を犯さざるを得なくなってしまった、そういう環境を作ってしまっていることが問題なんであって、彼ら個人だけを叩けば解決するってもんでもない。

 

↓それなりに勉強になったー。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

 

 

*1:ここでの「怒り」は個人的な怒りのこと。社会に対して感じる怒りや憤りは「公憤」といって、ここには含まれない。