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可愛さ余って憎さ100倍

この7月から新しい職場でのびのびと過ごしてます。休憩スペースにゆりかごみたいな、揺れる椅子があって、そこでよくお昼寝してます。

新しい職場になると、近隣の飲食店事情が気になるわけですけど、大変ありがたいことに野菜が食べられるお店もいくつかあります。

 

すでに週に2、3回ほど行ってるお店が、先週金曜日は「貸切のためお休み」で、残念、と思って他のお店で済ませました。

 

そのお店は、会社から駅までの道の途中にあるのですが、帰り道に店の前を通ったところ、あるおばさまが、店員さんに文句を言ってました。瞬間だったので(歩くペースが速い)、ちゃんと聞き取れなかったのだけど、多分「やってると思ってきたのに!どうしてくれんの!休みならちゃんとそういうこと告知しておいてよ!」みたいな感じだったかと。結構どなってたんです。

 

それを聞いて、

 

そうだよね、好きだから、怒っちゃうんだよね。野菜食べたかったんだよね。期待するから、期待に沿わなかった時の絶望感とか残念感とか、おっきいんだよね。でもなんかそれって切ないし、残念だよね。好きな人・ものに対して怒りを向けるって。結局自分が一番好きってことやからね。周りから見てると、なんて利己的なんやろって、ちょっと冷めるわ。でもそういう自分もそういうこと、ものすごいあるけど。やっぱ人の振りみて我が振り直せだよね。おばさん、ありがと。

 

と、恋愛しかり、子育てしかり、色んな「かわいさ余って憎さ100倍」事例に思いを馳せつつ、自戒の念を新たにしたのでした。

 

「好き」って思って、すごくすごく入れ込んだとして、でも自分の期待がたとえ叶えられなかった時でも、対象(者・物)への敬意と尊重、相手の状況をおもんばかる想像力と、心のゆとりを忘れなければ、「憎さ100倍」なんてことにならないと思うの。

 

人間だから、必ず何かにとらわれてしまうんだけど、それでも理想は、何にもとらわれない、自由な心になりたいなーなんて。

 

 

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