過去は振り返らない。のではなくて

ポエマーではありません。

 

ここのところ、あまりにも忙しい、というか、ライフスタイルの変革を行っており、やれ発注だ、やれ荷物到着だ、やれ模様替えだっつって、もうなんていうかアウトプットどころではなく、気付けばブログも1か月以上放置してました。途中で何度か書きたいと思ったこともあったのだけど、書ききる余力が残ってなかった。吐き出したい想いはあっても、思考力と時間が足りなかった。そして今、ようやく何かが揃った気がするのでいけるとこまで書いてみる。(と、この記事も過去に書き途中で下書き保存したものですけど)

 

少し前のはてなブログのお題が「今年買ってよかったもの」だったので、ふと自分も考えてみて、いくつかあったのだけど、それより思ったのは、掲題の件です。

 

過去は振り返らないっていうとポエマー風ですけど、正確にいうと、覚えてない。なんか過去の出来事、覚えてないことが多い。前から薄々感じてはいたのですけど、過去3か月分くらいしか、近い記憶として残ってない。何を買ったかな~って家計簿を見直してみたのだけど、今年の3月の出来事とか、なんかもう何年前?っていう状態。

 

皆そんなもんだろうと思ってたんですけど、懐かしい人たちと会話していると、皆は覚えているのに私だけ「えっそんなことあったっけ?」みたいなことが多すぎて、軽いショックですらある。

 

例)中学の時付き合ってた男子に多分10年くらい振りに会って教えてもらったのだけど、中2か中3の時、学校の廊下(2階か3階)を一緒に歩いてて、おもむろに「それ貸して?」と彼が持ってたタバコのカートン(?ていうの?知らんけどなんか束になってるやつ)をgetして、直後に無言で1F中庭の池の中に投げ捨てた。⇒記憶の片隅にもなかった。彼はそれ以来私が怖くなったそうだけど、望むところや。

 

例)今の会社の上司宅に、多分4年前位に訪問したのだけど、その時のメンバーを覚えていない。床暖房があったかーい!と言っていた記憶しかない。⇒正確には当時付き合っていた人と、会社の先輩3名の5人で伺った(上司含め当時は全員同じ会社)。

 

例)先日のポッキー&プリッツの日に、会社の先輩からもらったっつって、プリッツの写真をfacebookにUPしたら、幼稚園からの幼馴染に「●●さん(私)といえば、プリッツマイルドサラダw」とコメント頂いた。⇒確かにプリッツサラダ味好きだったなーとか思い出したけど、そんな、私といえばプリッツサラダなんて、そこまでの印象はなかった。

 

などなど。これは全て最近あった出来事ですけど、過去にもたくさん言われていて、それも既に風とともに時とともに去っていってる。私があんなこと言ったとかそんなことやってたとか、なんで覚えてないの?とよく言われる。日常生活の一コマならまだしも、皆でお出かけした時のこととか、ちょっとしたイベントですら忘却の彼方なんて。なんだか切ないぜ。

 

若年性健忘症なのかとも思って調べてみたけど、自己診断チェックでは問題なさそうだった。別に私は記憶力が悪いわけでなく、むしろ人の誕生日とか星座とか血液型とか動物占いとか、そういう個人の出生にまつわるエピソードの類は得意分野だと思う。占いが好きってこともあるけど、そもそも人間に興味がある。多分結構な人数覚えてて、話すと驚かれるくらい。

 

そして、占いもそうだけど、とにかく「今」興味があることに全力になってしまうため、新しい知識をどんどん入れる。そして、そのことについてひたすら考える。だけど残念ながら脳の容量は限られてて、自分の少ない脳の記憶容量を最大限に活かすために、過去の色々な出来事は、「非重要事項」と判断され、風とともに葬りされれていってるのだと思われます。

 

そんな私でも、断片的に覚えてる過去の記憶もあって、大抵そういう記憶は、しんどい、辛い、暗いものが多い気がする。あとは、上司に言われた一言とか、いわゆるターニングポイント的な、自分の心に刺さった深さに比例しているのだなと実感する。きっと程度の差はあれ、人の記憶ってそんなものなんだと思う。刺さりすぎて深手を負ってしまったのがPTSDになる。

 

そんなだから、仮に人を傷つけてしまったことがあったとしても、自分にも刺さっていないと、 その出来事を平気で忘れてしまう。相手の心にはずっと刺さったままなのに。過去を覚えていないことは全然歓迎なのだけど、それだけは怖いかなー。人の痛みに気づいて理解できる人間でありたいぜ。

 

記憶と情動の脳科学―「忘れにくい記憶」の作られ方 (ブルーバックス)

記憶と情動の脳科学―「忘れにくい記憶」の作られ方 (ブルーバックス)

 

 

 

 

つらかった過去を手放す本

つらかった過去を手放す本