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出身中学が廃校になる

生活 思考

そんなことが起こるなんてね。だって仮にも一応首都圏の、多分全国1位の人口を誇る政令指定都市の一部だし。でもこれは事実です。少子化の波が押し寄せてるみたいで、うちの実家がゴーストタウン化しないか心配です。でも何年か前に、出身小学校も廃校になったので、必然のことだったのかも。

 

来週、閉校式があるので平日だけど会社休んで参加する予定です。

 

前に書いた通り、私は過去の出来事ほとんど覚えていなくって、人の名前もあんまり憶えていなくって、きっと誰か懐かしい人に会っても、「あー!!久しぶりー!!(誰誰誰誰)」っていう愛想笑いと焦りとで終わってしまうのだろうけど。

 

いつも前だけ向いていたいし、向いてるし、覚えてるレベルの過去なんて実質風呂入ってる時の妄想タイムのおかずくらいにしかならないのだけど、それでもそのおかずの生産地がなくなってしまうのはなんだか寂しい。っていう感情が今のわたしにもあることがわかって少し驚き。

 

もちろん心の中には生き続けるんですけどね。頭では忘れてるけど。

 

こういう時代の流れとか、色々な変化を特に感じる時、わたしの頭の中ではいつもだいたい方丈記が流れるのですよね。鴨長明はいい仕事したと思うわー。

 

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。 たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人のすまひは、世々経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。

 

Wikipediaより転載

 

 

現代語訳 方丈記 (岩波現代文庫)

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新・平家物語 完全版

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