主観からは逃れられない

これは諦めでもありそれによって絶望しているわけではないのだけど、あぁやっぱりか、というような感覚があるので書いてます。

前回、大抵のことは言っても言わなくても大したことでもないだからどうでもいいじゃねーか(全部主観的な話で良いも悪いもないんだから)、ということを書いたのですが、補足というか追記というか、関連して。

tenbin-girl.hatenablog.com

私昔から主観・客観とか主体・客体とかそういうことよく考えてまして、「多くの人にとって事実というのは1つなんだけど、それは多面体であって、真実はその事実を見つめる人の数だけある」みたいなことをmixiに書いたりしてたんですよね。

つまり、出来事は1つだけど、それを理解する時に、AさんBさんCさんそれぞれの角度から見えるものが違って、尚且つそれが各々の主観を通して認識されて、それぞれにとっての「真実」が出来上がるのだと、そういうことです。ということは、1つの出来事や事象から、それを見つめる数だけ異なる「真実」が出来上がるわけです。(あくまでも自説)

そしてみんなその真実を自分以外の人も(当然)同じように見えていると思ってそれを発信するから、行き違いやミスコミュニケーションが発生する。そこで、怒りとか悲しみとか負の感情が生まれたりする。

この主観のことをよく「色眼鏡」とか「常識」とか「固定観念」とかそんな風に言ったりもしますけど、我々が生きてる限りこれらから逃れられないのですよね。(ちなみにこの表現は「幸せになる勇気」からお借りしてます) 

だから、せめて逃れられないことを認識して、「自分は今これを色眼鏡でみていて、他の人からは違うように見えているかもしれない(そしてそれは良いも悪いもないのだ)」っていう感覚を持っておいたら少し生きやすくなるのかな、自分も周りの人も。と思ってます。

 

元々私こういうやや諦めというか、自分と他人の線引きをしているところがあって、周りからは冷めていると思われるようなところがあって、少し前に、「主観からは逃れられないけど頑張って他者の心で感じられるようになりたい!」てことも書いていたのですが、

tenbin-girl.hatenablog.com

いやーなかなか難しいなーって。時間かかりそうだなーって。くっそー。

 

あと、主観的な云々というところで思っていたのは、月をみてるみたいだなということ。月って角度によって見え方が違うわけで、もっと言うと本当の月は球体なわけで。月と同じように、私たちが正しくとらえている物事なんて、本当はこの世に1つもないんじゃないかと思うよね。それは良くも悪くもないんだけど。いや、個人的には正しくとらえたいのだけど、全てを。これはほんとにただ自分の純粋な欲求として。他人がどうかとか他人にもこうあれ、とはあまり思わなくて、とにかく自分がそうなりたいだけ。でもそれにはきっとこの主観から逃れなくてはならなくて、でも生きてる限りは逃れられなくて、、もうちょっと時間が必要。

13ヵ月と13週と13日と満月の夜

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量子論から解き明かす「心の世界」と「あの世」

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人間関係のコツ4 人間理解のため必要な主観的世界という視点(月聖出版)

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