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最近愛想笑いがうまくできてない気がしてなんでだろうと思ったら周りの承認欲求に疲れてた

ただの愚痴です。

みなさん愛想笑いとかお得意ですか?私とても苦手なんです。昔から。面白くない時は笑えないのですよ。お笑いとかみてても。コミュニティ内でわいのわいの騒いでても。相手がそれを求めていても。

ただ、一定の距離があって利害関係のある相手、例えば仕事の取引先とかなら笑える、というか「ははは」って笑顔でやり過ごすことはできるんです。そういう時、自分は社会でなかなか頑張って生きているな、と我ながら思う。そしてその笑いは、その場の空気を壊さないために、相手と自分のためのものなんだとわかっている。

でもなんでだか、相手と自分のために愛想笑いができない環境とか状況があったりする。それがなんでだろナーってよく考えていて、そしたらタイトルの感じかもって思ったので。

 

なんていうか、承認欲求て自分にもきっとないわけではないんだろうけど、というより頑張って抑え込まないといけないほど強くないんだとは思うし、あまり全面に押し出さないようにしている。なんなら自己完結している気がする。こういうブログとかも一助になっているし(別に承認欲求満たせるほどの代物でもないし満たせてないしっていうかだから承認欲求少ないわやっぱ)。比較的普通に自分で自分を認めているから周りからの評価はさほど気にならない(ゼロっていうとさすがに嘘だと思う、一応社会人として生きてる以上)。

だって承認欲求の塊って、そんなの周りは受け止めるのめんどくさいじゃん。やり方の問題かもしれないけど。というか、私がめんどくさい。それはきっと自身が自己完結しているから、なんでyouの分を私が処理せにゃならんのか、と思ってしまうんだ。

それは一見優しくないし心が狭いと思われるのかもしれないけど、それは相手にただ釣った魚を与えることなんであって、全然相手の成長に寄与してない行為だとも思う。釣り竿のつくり方・釣りの仕方を教えることの方が本当に相手のためになるんだよ(別にMLMやってるわけじゃないけどそういう営業トークがあるって聞いたことある)。

もちろん相手の状態とかレベルとかあるのわかってるけどね。皆が皆そんな簡単にできるわけじゃない。育ってきた環境も多分にあるだろうし。それに承認欲求が強いからって、それは個性の一つなんであって、ただ私がめんどくさいだけで彼らが悪人ではないこともわかっている。それにめんどくさいのは私だけかもしれないし。心狭いだけかもしれないし、心が邪悪なだけかもしれないし。邪悪なつもりはないけどな。

だから別にそれで嫌いになるとかじゃないし尊敬するところや勉強になることもあるけど、程度ってあるじゃん。自分にとってあまりにもそれが強いと、ただただ疲れて愛想笑いすらできなくなるなってわかった。なんなら見てると心も苦しくなってくる。いたいたしい。つらい。

https://www.instagram.com/p/BEgMci7OtUL/ 

今日の肉はうまかった。

 

承認欲求―「認められたい」をどう活かすか?

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「認められたい」の正体 ― 承認不安の時代 (講談社現代新書)

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とらわれない生き方

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