続・過去の私は確かにいたのに消え去ってしまう

これ書いたの半年前かー

tenbin-girl.hatenablog.com

やっぱりあれかな、出張とかいくと、非日常的な生活パターンになって、なおさらそう思ってしまうのかな。続・過去の私は確かにいたのに消え去ってしまう事象について思いを馳せているここ最近です。

先日、出張で愛媛・松山に一週間+なか2日で再び1泊2日、行ってました。

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スタバのラッピング電車は全国初らしいよ。↑

 

相変わらず、ふとした時に、不思議でしょうがなくなってます。数時間前の私は確かに存在していたはずなのに、二度と会えない現象。数十分前にあの人と一緒に話していた瞬間・空間は確かに存在していたのに、二度と戻れない現実。確実に積み重なっていくのに、何も残らない事実。

 

石とか岩に始まって金属とか木・竹、紙と墨、インク、磁気とか光とか、、記録するための技術はどんどん発達して、より忠実に、リアルに、人類は出来事を記録に残せるようになったわけだけど、

記録技術の年表 - Wikipedia

当然それは記録でしかなくて、二次的なものでしかなくて、やっぱりその”瞬間”は完全に消滅してしまう。

 

”過去は消せない”ってよく言われる。確かに体験・経験した事実は消せない。それは残せないからだ。削除できるのは、”残っている”ものだけだ。それこそ、鉛筆で書いた文字のように、過去の言動が記録できるような時代(世界?)になったら、過去は”消せる”ようになるのかもしれない(なんかそういう道具、ドラえもんであったような気がせんでもない、なんとかノート的な)。なんかタイムマシーン的な仕組み?になりそうだけど。

 

だけど、何度でも描きなおせるノートなら、きっと永遠に描き終わらない。だって何度でも描きなおしてしまうんじゃねーかしら。ちっとも前に進まない気がする。

いやむしろ、そういう世界で何かを前に進める必要性ってあるのかな。何かを描く必要性ってあるのかな。いつでも何もなかったように、元通りにできる世界で、何かを創作する(人生含む)必要は、ないのではなかろうか。

だって、不可逆が存在しない世界ですよ。てことは、今体験している、人間レベルでの生死は存在しないんだよ。前とか後ろとか未来とか過去とか、時間の概念がない世界ですよ。時間が存在しないってことは、変化がない。つまり無常じゃなくて、常だ。あれ、、?苦しみがないやつだ。私が行きたい世界だ。輪廻転生しなくなったらいけるのがそこなんかな?そこに果たして、どういうレベルの生命体なら存在できるのか不明だけども。

※厳密に言ったら、「時間は存在しているけど過去に戻れる世界」と、「時間概念がない世界」は異なるんだろうけど、時間が存在している世界では過去に戻るって不可能なんじゃないかと今のところ思っている。

 

落としどころがわからないままとにかく何か書いておきたくて書いたんだけど、やっぱりわからなかった。

時間の概念がない世界なんて、どこかに存在し得るのだろーかと思ってたけど、こんだけ銀河がたくさんあるなら絶対どこかにありそう。

ailovei.com

 

こんなこと考えてしまうの、出張中に喜助の湯でドラゴンボールを30巻くらいまで読んだってのも影響してるな確実に。精神と時の部屋入りたい。鳥山明は天才。

伊予の湯治場 喜助の湯(きすけのゆ) | 愛媛県松山市の天然温泉