ゆく人くる人

突然ですがわたくし、社会人になってからこれまで4つの営利組織、1つの非営利組織に所属しています。突然でもないですが。

学生時代は部活、サークル、バイト(スーパーのレジ、味噌の訪問販売1日、ケンタ、家庭教師のトライめしや丼村さ来)等含めると、様々なコミュニティに所属してきました。学校のクラスみたいな、自由意思の反映が少ないところはなしにして。

だから、自分が”行く人”になったことがあるし、送る人にもなったことがあるし、”来る人”にもなったことがあるし、迎える人にもなったことがあるんですよね。皆さん多かれ少なかれあると思いますが、そこそこ多い方なんじゃなかろうか。

そう、人の組織への出入り、そこで繰り広げられる出会いと別れは日常茶飯事です。自分自身は所属意識や仲間意識みたいなものにあまり執着がないので(こういう表現が正しいかどうかは不明ですが)、去る者は追わず、来るものは(あまり)拒まず、なスタンスでいます。(自分が退職する時には毎度挨拶で涙を流しているけれど、3社。)

人が組織を去る時、理由はその人の数だけもちろんあるわけですが。他にやりたいことができたとか、その他、まぁつまり一身上の都合。それで、「あの人は合わなかったんだよ」「仕方ないよ」と、送る側の人たちが言ったりする。

確かに仕方ないことだと思う。実際そうなんだと思う。それでも、「何がよくなかったんだろう?」「どうすれば出ていくことにならなかったんだろう?」って、表面的な問題の、更に奥の原因(と思われるもの)を考えられるかどうかで、組織は変わると思う。

「あの人は合わなかった」「仕方ない」これって、他責ってことでしょ。自分には何も問題はなくて、あくまでも、あちらに”適性がなかった”、あちらの”勤務態度が悪かった”、あちらが”社内の人間関係でトラブルを起こした”...。まぁもちろんポジティブな理由もあるけれど。でも、100%ポジティブな思いしかなければ、組織を去らないよね。

そして組織対個人といっても、結局は個人(の集まり)対個人なわけですよ。人間関係における色々って、どちらか一方だけに原因があることは、なかなかないと思うんですけどね。

勤務態度が悪くなった原因を、考えたことあるのかな?「勤務態度悪いぞ!」って怒るだけじゃ、問題の本質を見過ごして、何も解決しないってことになりかねない気がしますけど、どうですかね。

いち人間で考えてみても、他責の人って本当に成長しないと思うんだけど、問題意識がないってことだから。それは組織も同じなんじゃなかろうか。組織には文化やノリがあって、歴史がある。だから、変えにくい、変わって行きにくい、てことはあると思うんだけど。だからこそ、多様性のある組織が強いって話なんじゃないのと思うんだけど。

時間がないのでこれくらいで。

※追記※

表題は、

・なんとなくもうすぐ2017年も終わるなー(しわすこわす)ってふと思ったことと、

・人の去就は、時の流れのように当たり前のことだなーっていうのと、

・年末年始、ゆく年を反省し、くる年に向けて思いを新たにするのと同じように、人を送り迎える時も、自分が行き来る時も、何かしら省みて、よりよい気持ちを作っていけたらいいなぁ、

なんてことが色々重なった結果です。

 

なぜ人と組織は変われないのか――ハーバード流 自己変革の理論と実践

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