自分を救えるのは自分だけ

自分を救えるのは自分だけなんだなぁと最近つくづく思います。別に、自分は一人で生きていけるだとか、誰にも世話になってないとか、そんな傲慢なこと思っている訳ではないです当然ながら。人はひとりでは生きていけない、これ自明。私がよくよくお世話になっているTwitterも、スマホもPCも、もちろん住んでる家も服も電車も何もかも、私は作れないし生み出せない。もちろん数多の作物やそれを便利にした加工食品なども。現代社会の恩恵ありがとうありがとう。

それに、生まれてから育ててくれた両親、学校・塾の先生方、昔から及び社会に出てからの同期先輩後輩その他諸々の人たちの人情や温情によっても支えられてきている、これも自明。あとは多くの先達が残してくれた様々な言葉、哲学、教えなど。

だけれども、心から辛いとき、本当の意味で自分を助けられるのは、自分自身です。

私は幸いにも困った時に相談できる窓口を複数持っており、何か問題が起きた時それぞれに問い合わせさせていただいている。これほんと大変助かっており、それによって原因が特定できたり、対処法や考え方を学んだり、場合によってはひたすら感情を吐き出したり、おいしいものを食べたり、カラオケ行ったりなんだりとして生き延びてます。

その時にね、例えば原因が特定できたり対処法について色々とアドバイスいただいても、自分で腑に落とせないと、結局あまり変わらないのですよね。頭ではわかっているけど、、みたいな。一時的には楽になるけど、またすぐ戻ってしまったり。

だけど、腑に落ちた瞬間、一瞬で世界が変わるんですよ。そういった体験を何度もしてきた。現実は何も変わっていないのにね。それは私が主観主義寄りの人間だからってこともあるのだけれど、でも多くの人にとってもそうだと思うんですよね。

これは”受け入れる”とか”理解する”とも何かニュアンスが違う気がしていて、英語(というか英語表記を日本語的に理解して)でいうところの”I got it”でしょうか。ネイティブの運用や温度感は知りませんのであくまで日本人的な理解です。

その、腑に落とせるかどうかはもう自分次第じゃないですか。過去の点と点を繋げることだったり、自分で積極的に思考の制限やフィルターを外していくっていう作業が必要だったりするし、ある意味シックスセンス的な、天啓的な部分もあると思うんですよね。いずれにしても、自分自身でそれは得ないといけない。だから自分を救えるのは自分だけって書きました。アドラーのいう”誰かを水飲み場まで連れていくことはできるが、水を飲むかどうかはその人次第”と似ているような。

なんかこう書くと、運とか才能に左右される雰囲気になってしまう気がするけど、どちらかというと過去の自分が今や未来の自分を救う、というイメージ。それまで自身で積み上げてきたものが助けてくれる。だから、今の自分(の思考行動)が過去や未来の自分を救うことも、いずれあると思う。

自分を縛っているもの、苦しめているものは(本当は)なにか。自責にも他責にもなる必要はなくて、ただ、そこから自由になるかどうか、決めるのは自分。(って、1室周辺惑星集中型だから思えるけど、そうじゃない人はまた違った思考パターンが必要だと思う。というインド占星術の話)

  

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