類は友を呼ぶ/人は自分を映す鏡

教訓として、戒めとして、声に出して読みたい、何度でも。

 

こちらのブログは大変お久しぶり。昨年8月から人生で初めての「5年日記」をつけ始めており、思考の整理や愚痴やぶちまけはもっぱらそちらが担っている関係で、こちらで当たり障りのない何かを書き連ねようと思っても、なんか気が乗らず下書きのまま、ということが続いていた。

前回書いたのが昨年6月、ってことでもう半年以上も空いてしまっている。その間の大きな環境の変化としては...

・家(中古マンション)を購入した(引っ越し)

・ウサギを飼い始めた(可愛い)

・新規事業が動き始めた(連休がなくてしんどい)

ってところだろうか。まぁまぁ大きい変化。

本当はホッテントリなどにならってマンション購入時のまとめとか書こうかと思ってたんだけど...気力が...

 

と言うわけで久しぶりに、こんな時間(23:40)から急に。掲題の件です。

私、いつの頃からか「類は友を呼ぶ」を強く信じてます。いやこれ信奉の対象なのか知らんけども。その機序としてはこう。「私はこれまでの人生で多くの人から助けてもらってきており、本当に良い方達に巡り合ってきた。そしてそれはすべからく私自身が良い人間であるからだ」というもの。友人達や仕事の同僚、先輩、それからお客様もそう。

いや、元々の意味である「気の合う者や似た者同士は、自然と集まるものだ」ってーのはもう疑いようもなくそうなんだけど、そこから一歩踏み込んだ意味で捉えてます。どちらかというと、”人は自分を映す鏡”に近いかも。

だから、身近な人の言動や特徴で気になった点があった時に、もしかして自分にもこういう面があるのでは?とか、今ぶちまけているこの愚痴は壮大なブーメランになってないか?って考える。

過大と思われる要求が多かったり、気分が不安定で頻繁に周囲を振り回すような”困った人”と関わることが増えてきたな、と思ったら、最近自分が我が儘になってないか?傲慢になってないか?って省みる。

人材採用がなかなかうまくいかない、良いご縁がないなぁと思ったら、いま自分自身が怠惰になっていないか?低い方へ流れてないか?良い状態であろうと努力しているか?と考えてみる。

 

そういった考え方が(恐らく)ここ数年自分の中では当たり前だったんだけど、少し前に人にそんな話をしたら、「そんな発想全くなかった、初めて聞いた」と言われたので、一応書き留めてみました。

人を憎まず、他責にならず、自身を省みる機会が得られ、なんなら向上の機会にもなり、とってもお得な考え方だと思うのでおすすめです。

 

↓最近久しぶりに読み返してやっぱり(岸見先生経由の)アドラーいいなぁ、となっているところ