余命宣告をしてもらえたら、どんなにかいいだろう

私はこれまで一親等を亡くしたことがないのと(祖父母は全員亡くなってますが)、yogaを学んだり仏教に興味があったりする関係で、死生観や人生観が、ちょっと現代の日本人のそれとは変わっているかもしれないので、もしかしたら気分を害される方がいらっしゃるかもしれないです。でも書いておきたいことなので書きます。


余命宣告って、癌になったり病気になったりの場面でよく出てきますよね。「あなたあと持って半年」とか「余命は長くて1年です」とか。スティーブ・ジョブズも伝説のスピーチの中で、されたって言ってますね。多くの人はその余命宣告をネガティブなものと受け止め、悲しみ、嘆き、悲観にくれて涙涙となるわけですけど(もちろん宣告される個人の、年齢やら人間関係やらが多いに関係してくるので、一概には言えないですが)、私はむしろ余命宣告をしてもらいたいと常々思ってます。健康体でも、病気の時でもです。


それができないから現実の人生は難しいのだけど。仮にものすごく正確な、余命宣告システムみたいなものがあって、人生の終わりがわかるようになってたら、誰の人生も今より何十倍も輝いたものになると思うんです。してもらいたい理由は2つで、


1)全力で生きれる
2)色々準備ができる

→憂いなし!(後悔しない)


です。

1)全力で生きれる

仕事も夏休みの宿題も受験も、ゴール(締切?デッドライン?)が決まってるから頑張れると思うんです。もちろん、自分や多くの方がそうだというだけで、個性心理学を学んだ立場からいうと、ゴールが決まってるとうまくいかないタイプの方もいますが。


ビジネス書でも、デッドライン決めろっつってよく言ってますよね。吉越さんとかね。決めないと先延ばしするから。いつまでもやらないから。


100m走も、ゴールが100m先だってわかってるからあんなにダッシュできるわけで、これが10000m走とかになると全力疾走したら持たないからダッシュできないわけで。でも10000m走だって、それもそれでゴールが決まってるので、体力配分とか計算できるのでOKなわけです。計画的に進められるんですね。でもこれが部活のトレーニングみたいに、顧問の気分次第で終了時間が変わる、みたいになると(くどうティーチャー懐かしいな)、全力出せなくなるわけです。いや、そんな中でも全力出せって言われましたけど、でもやっぱりどこかでセーブしちゃいますよね。特に女子はそうみたいですよ。あ、ダッシュの話に限ってますここ。


で、それってやっぱり人生にも言えると思います。わたしは1か月後に死ぬってわかってたら、会社辞めて、オーストラリア行くかもしれないし、ひたすら占い勉強して色んな人に会って話すかもしれないし、ツレと一緒に住むことにするかもしれないし、家族旅行とか行ってみるかもしれないし。仮に体が不自由だったとしても、瞑想頑張るかもしれないし、ひたすら本を読んでるかもしれないし、、とにかくジョブズが言ってたみたいに、やりたいことをしっかりがっつりやると思います。


だから自分なりに、30歳までに死ぬと思って(仮にゴールを設定して)生きてきたんです。そこまで思い切ってないけど、それなりにやりたいように生きてきたと思ってるし、後悔も一切してないです。死を意識したら、決断も変わります。


2)色々準備ができる

むしろ、いつ死んでもいいように生きることが自分の学生時代からのモットーでした。旅行とか行くときも、ある種、死を覚悟して行ってました。(死に迫る経験はあんまり多くないので、実際に死に直面したらわたしの覚悟なんて甘々なんでしょうけど)


死期がわかることの最大のメリットは、準備ができるってことですよね。ある意味1)もこれに含まれるのかもしれませんが。自分がいなくなった後、家族や職場の人などが困らないように諸々準備をしておく。自分がいなくても色んなことが滞りなく進むようにしておく。それから、お世話になった人たちにお礼する。喧嘩中の恋人や友人に謝る。など。伝えたい人に、伝えたいことを、ちゃんと伝えておくってことですね。


それが普段からできてないと、死ぬ瞬間に、こんなはずじゃなかったとか、後悔したり悲しんだりするわけで。自分だけじゃなくて、残された人たちも後悔したり悲しんだりしますね。


最近は終活なんて言葉も流行ってますが、これ本当は生きとし生けるものすべてがしておくことなのではないかと。年配の方や病気の方だけじゃなくて(もちろん人以外の生き物も)。だって人は(もちろん人以外の…)、100%死ぬし(生まれた瞬間から致死率100%)、いつ死ぬかわからないんだから。


余命宣告してもらえないので、無常を忘れない

で、結局、余命宣告はしてもらいたいけど、今のところしてもらえないので、これまで通り「いつ死んでもいいように生きる」しかないのかなと。「明日死ぬかもしれない、そしたらどうする?」って常に問いかけておくしかないのかなと。


いつ死ぬかわからないから、いつまでも続くって勘違いしてしまって、大事なことが見えなくなったり先延ばしにしてる人って多いと思う。


逆に、いつ死ぬかわからないから、いつまでも苦しい現状が続くと思ってしまって、自ら命を絶ってしまう人もいたりしますが。。


明確なゴールが見えないから、みんな正しい判断ができなくなってるってこと、きっと往々にしてあると思います。


幸も不幸も、平凡も非凡も、人生のその時の瞬間瞬間は無常だってことを忘れなければ、後悔なく、よい生き方ができるんでないかなと思ったりして。



改めて自分も、無常を胸に、後悔ないように生きていきます。という宣言。



※6月末に今の会社を退職するのですが、そこから色々考えてこのエントリーを書きました。引き継ぎとかね、自分がいなくても回るようにね。

無常という力―「方丈記」に学ぶ心の在り方

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諸行無常の響きありってね

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