ありのままって

今年初めての梨を食べました。千葉県産・幸水。かなりうまかった。梨ってわたしの好きな果物ランキングで不動の第1位なんです。梨が冷蔵庫にあるとテンション上がるっていう小さい頃からの繰り返しにより。

 

梨が出始めるとあー夏も終わるのか(つって、まだまだ暑い日は続きますが)みたいな、ちょっとした季節を感じる食べ物でもあります。

 

「自然」であることって重要、わたしにとって

そういう、「旬のものを食べる」みたいな考え方とか好きで、より「自然」な感じがするからなんですが、自分の理想の中で「自然であること」って結構大事です。「適材適所」もそこから生まれるのですが、これは新卒で就活してた時のキーワードのひとつでした。求められる人が求められる所へいく、みたいな。ありのままの(♪)自分でいられる場所で、自分は働きたかったし、人からも企業からもミスマッチのない採用のお手伝いができたらいいなと思って、採用コンサルティング会社に就職しました。

 

「自然」とは

「自然」って「無理をしない」ってことでもあって、だから意味のないストレスがかかることも好きじゃないし(ストレスがかかるとすぐ体に出てくれるのでわかりやすい)、うわべだけの人間関係も好きじゃないし、愛想笑いも(軽いものならできるけど)苦手だったりします。嘘つくのも苦手です。筋トレで負荷をかけるのは好きですが、無理はしません。

 

「自然」って「わざとらしくない」ってことでもあって、だからドラマや映画での「演出っぽい」演出は苦手だし、アニメのみんな同じように聞こえる喋り方も苦手だし(特に設定が「普通の人」の場合、実際そんな喋り方してるやついねーよとか思ってしまう)、ミュージカルも苦手だし(なんでいきなり歌うの?それ周りの人は歌ってるって認識してんの?てとこが引っかかってしまう。タモリ氏も同じようなこと言ってたような)、大流行した「嫌われる勇気」の中の青年の台詞もところどころ苦手だったです。演技かよ!みたいな。

 

そんなわたしなので、「不自然」なことって、あまりよしとしないというか、美しくないというか、なんかしっくりこないというか、そんな感じで、それはきっと世の中みんなそうだと思ってたし、「自然」であることがいいことなのだ!と思っていたんですけど。

 

不自然で何がいけないの?

とあるサイトで、牛乳は体に悪いのかどうなのか、みたいなことを検証しているのを見つけたのですが(そのサイトはちょっと見つけられなかった)、そこに書かれてたことで少しびっくりしました。

 

牛乳反対の人の意見の中に「牛乳は子牛の飲物であって、人間が飲むのは不自然である」というものがあるが、そもそもそれは不自然なことなのだろうか。そして不自然で何がいけないのだろうか。自然って何だ?

 

正確ではないですが、おおよそこんなような内容のこと。

 

わたしが初めてベジタリアン生活を始めたきっかけになった本(ナチュラルダイエット)でも、牛乳は子牛のための飲物、多種の乳を飲むのは人間だけだ、みたいなことが書いてあって、それを読んでわたしはあっさり「確かに!」と納得をしたのでした。

 

ナチュラルダイエット―必要なのは3つの食習慣だけ

ナチュラルダイエット―必要なのは3つの食習慣だけ

 

 

でも、「なんで不自然だといけないのか?」「そもそも自然って何か?」ってことは考えたことがなくて、上記サイトを読んだ時はちょっとしたショックでした。

 

整形モンスターのヴァニラさんが、「人工的なのが好き」って言ってることも、ちょっと衝撃的というか、そういう人もいるんだなぁ、と。。

 

【随時更新】整形モンスター”ヴァニラ”まとめ - NAVER まとめ

 

そもそも「自然」「不自然」て何なのか

改めて、自然・不自然について考えてみると、まぁそれぞれのジャンル毎でニュアンスも微妙に違ってくるのだろうけど、ひとつの観念なのかなーということに行きつきました。『その人にとっての、「自然=常識」「不自然=非常識」』って考えると、わかりやすいような気がします。完全なイコールではないけど。

 

重要なのは「その人にとっての」ってところで、絶対的な自然・不自然はないなって。人によっては、ミュージカルも自然に見えるんだと思う。牛乳も飲めるんだと思う(これについては小さい頃からの刷り込み効果が大きすぎと思うけど)。

 

それで言ったら、「ありのままの自分(♪)」ていうのも、自分と他人とで評価が分かれることはあるんでしょうね。ジョハリの4つの窓じゃないですけど、自分で「これが自分だ」って思ってる自分と、周りから見えてる「自分像」にはギャップがある人もいるだろうし。その場合どっちが正しいのかというと、どちらも正しいのだけど、ただ人は社会性のある生き物ってことを考えると、社会を構築できる方を優先すべきな気もするし、でもそれがストレスになってしまうこともあるよね、という。

 

ジェンダーとかの考え方でも、現れてくることなんだろうな。女はこうすべき、こうあることが自然、とか。男は強いことが自然、女は家庭にいることが自然、みたいに。

 

こだわりすぎないように

って考えると、自分が「自然であること」にこだわっていることって、少し危険というか、頭が固くなって物事を正しく見れない、広い視野で考えられない可能性を強めているなぁという気がしてきたので、ちょっと気を付けたいと思いました。あと、人を許容できなくなるなと。心の狭い人間にはなりたくないです(´・_・`)

 

人を許すことで人は許される (PHP文庫)