今日、FBのタイムラインに流れてきたこれ。
こちらの方が拡散されてるぽい。
後で知ったけども、小林せかいさんとは同年代だった。同じ学年か、1個上か?
いずれにしても、これを読んでじーんとこみ上げてくるものがあったのでなんでかなと考えた。
想いが現実を動かしている
考えた結果、私は目に見えない想いが、実際の現実を動かしているっていうそのダイナミックさというかドラマティックさにすごく感動を覚えるんだとわかりました。
15歳の時に感じた衝撃、想いを形にする。疑問に思ったことの解決策を考えて実際に形にする。
私は彼女に限らず、そういうことを体現している人や事象に感動する。心が震える。とかっていうとポエマーかしら。でも実際そうなんですよ。だってすごいじゃない。色々な困難があるにせよないにせよ、自分の理想・目的に向かって突き進んでいく、そして実際にゴール(現実のものとすること)してしまうというのは、本当にかっこいい。
目に見えない、形のない曖昧なものなのに、それが燃料となって、現実を創り動かしているというのはなんだかすごくロマンティックでもあり、しびれることなのです。
感動するものって大体そんな感じ
考えてみるとスポーツも、ちょっとニュアンスは違うけど同じようなもんだと思うの。まず想いがあって、それが彼・彼女を厳しい練習に駆り立て、勝利だったり結果だったりを導き出すわけでしょう。私はその過程と、その先の結果に対して感動する。彼・彼女の想いが溢れてみえる行動に、結果に、感動する。
丁度先日読んだこれとか。
想いはみえる
最初に、「目に見えない、形のない曖昧なもの」って書いたけど、こうしてみると想いは可視化されるということに気づくよね。つまり想いが溢れている人の行動をみていると、その想いは嫌でもみえてくるよね。それがまた心震わすのですよ。
自分も想いが可視化されるような人生歩みたいわー。
なんだかちんぷな言葉ばかり並べてしまって大変恐縮なんですが、語彙力が少ないのでご容赦頂きたい。。でもとにかく今日久しぶりに、心が震えることについてまじまじと考えてしまったので書けてよかった。あー眠い。