断捨離というよりも排泄

粗大ごみ出してみた

今朝、壊れた自転車と壊れたプリンターを粗大ごみに出した。(家帰った時に回収されてなかったらどうしようって不安が少しだけある)

自転車は多分4年か5年前に、通勤中事故ってからハンドルが曲がってカゴもおかしくなってたやつをそのまま使っていて、ある時から乗らなくなった。その後多分2年位、マンションの自転車置き場に放置していた。

プリンターは5年位前に購入した。こないだインクを入れ替えたばかりだったけど、電源入れてても基本「オフライン」と表示されるし、出力できる時とできない時があって、なかなかのストレスだった。排出トレイがとれちゃってるし、紙もまとめて吸い込んじゃうから1枚1枚差し込まないといけないし。

めんどくさくて、両者とも放置していたのだけど、新しいプリンターを購入したことをきっかけに、どちらも粗大ごみに出してみた。

↓購入したプリンターは多分これ

結果、すっきりした(*´ー`*) 当たり前か。 

断捨離は苦手

そして思ったのは、ものを捨てるというときに、私としては排泄という言葉の方がしっくりくるなぁということ。よく断捨離断捨離いうけど、あれ少し苦手なのですよ。やたらと使う人いるけども。

むしろ、やたらと使う人がいるから苦手になってしまったのかもしれない。その言葉が流行りはじめた頃は、ヨガもしてたし、禅的な仏教的な雰囲気もあって、なんならいい印象の方が強かった。やましたひでこさんの講演会?セミナー?みたいなのも行ったことあるし。(そのセミナーで違和感感じて、少し引いたっていうのもある)

ただ最近は言葉がどんどんひとり歩きしているような気がするし、「無理くり感」をひしひしと感じるのですよね。これ完全に主観だし、自分がその言葉から受ける印象、というだけなのですけど。

最近では、めんどくさいもの全部投げ捨てるってニュアンスを、断捨離という言葉で表現している人もいたな。

自然が一番

排泄って、食べ物の栄養を享受して、不要になったものをスルっと出し、結果すっきりするというアレ。今回、ものの利便性(?)をできる限り享受して、不要になったものをんしょって出して、すっきりした。

断捨離って使ってないものも「今の私には必要ない」って捨て断ち離れるというやつですが(多分)、排泄というと、意図的に出すというよりも、自然な生理現象として出す感じ。だから全く抵抗がないのです。当たり前か。

わたし基本毎日快便なんですけど、大便小便とも状態は適度に観察していて、それで体調の変化をみるし、栄養に感謝している。ものに対しても、そういう気持ちで向き合えたらいいなと思う。情熱大陸を少しだけみた印象だと、こんまりさんとかこんな感じなのかもしれない。本読んだことないから知らんけども。

 

ただ、自分自身が今年の2月から天中殺/空亡に入っているから、受け身の姿勢が心地いいだけかもしれない、とも思いつつ。

他にも排泄物ないか探してみる。

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