前回の記事から1か月以上経っていました。
これは少し前に福山でみた虹。
■忙しきこと、よきかな
ここ数週間は出張続きで、バタバタと動き回っておりました。感覚的に、忙しかったです。「”忙しい”という字は”心を亡くす”と書くからうんたらかんたら」という話は皆さんお馴染みかと思いますが、ほんとそやな、という実感。ポジティブな意味で。
忙しくしてると、余計なことを考えなくて済むし、どうでもよくなる。
やいやい口出ししたくなる人や、愚痴ばっか言ってる人って、時間があり余って致し方ないんだろうな、と。自分のことで手一杯だったら、人の愚痴なんて言ってられないもんね。mind your own business ってまさに。いや、手一杯にさせてる原因(と思われるもの)について愚痴ってしまうのかもしれないけれど。
ただやみくもに忙しくする、というよりは、目標に向かって自分ができることを考える、行動するってことが大事なのだと思う。あとはお客さんの方を向くってことかな。意識が社内に向いてるから、社内の嫌なところが目に付く。
少し前の私も時間があって、どうでもいいことを色々考えてしまっていたなと反省。
■決めつけない
これは少し前から常々思っていたことだけど、物事に絶対的な善悪って、ない。長所は短所になり得るし、人間万事塞翁が馬なのだ。
一見幸福なことが、不幸になったりするし、一見不幸に見えることが、実は幸せだったりもする。ある人にとっては良いことも、また別の人にとっては悪いことだったりする。
ネットでもリアルでも、自分の意見が絶対正であるかのように発言をしている人をみると、尊敬半分・軽蔑半分というよくわからない感情になる。困惑。
自分の善悪/正否基準に自信持っててすごいなっていうのと、なぜ断定できるの?神なの?っていう。
個人的には、良いとか悪いとか、決めつけないでいたいと思う、何に対しても。何歳になっても。決めつけてしまうと、”そういう目”でしか物事を判断できなくなる。いわゆる先入観。正しい適切な判断が、できなくなる。
ステレオタイプや、いわゆる”常識”は、知識として入れながらも、それにとらわれない人でありたい。レッツ避・老害。
もちろん、好き/嫌いはおおいに結構なんだけど、好き=正しいっていう感覚にとらわれがちじゃない?みんな。
■心理的安全性の大前提
心理的安全性重要や!って思ってたけど、メンバーの知性や能力がほぼ均一(同レベル)であることが前提って気づいた。低い人がいれば上げられるようにフォローすればいいんだけど、本人にその気がなければ疲弊するし。 / “Googleが発見…” https://t.co/Gefs6ZbiUn
— tenbin-girl (@tenbingirl) 2017年8月18日
多様性は受け入れたいと思っている。適材適所で色んな人が自分らしく存在できればいいなぁと心から思っている。でも営利企業で、チームとして働く上では、仕事に関する能力のレベルが近しいことは多分大事であって、それが保たれなければ心理的安全ってなかなか難しいんじゃねーの、と思った次第(´・ω・`)
↑の記事はグーグル様の企業内調査だし、みんな優秀っていうベースがある。
営利企業じゃなくても、例えば勝つことが目的のスポーツのチームでも、多分そう。力のない人間はそれだけで肩身も狭いし、上手い人に発言なんてできない(経験者は語ります)。もちろんベンチから声出すってことはできるし、Bチームからスタメンとったろ!っていうモチベーション保てる人もいるだろうけど、それは向上心があってこそ。
仕事に限らず、多分「目的ありきの人間関係」っていうのは、目的に沿って、ある程度のレベルやスペックが一致していることが心理的安全性を構築する第一歩な気がする(決めつけてはいない)。←これって差別につながるのかな?でも習熟度別クラス編成は効果ありって本(↓)で読んだ...(´・ω・`)
チームが機能するとはどういうことか――「学習力」と「実行力」を高める実践アプローチ
- 作者: エイミー・C・エドモンドソン,Amy C. Edmondson,野津智子
- 出版社/メーカー: 英治出版
- 発売日: 2014/05/24
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (3件) を見る