の続きがあるって有名ですよね。後世の人たちが創ったのだとか、出所はよくわからないけれど。
百聞は一見にしかず
(ひゃくぶんはいっけんにしかず)
百見は一考にしかず
(ひゃっけんはいっこうにしかず)
百考は一行にしかず
(ひゃっこうはいっこうにしかず)
百行は一果にしかず
(ひゃっこうはいっかにしかず)
てやつ。
百聞は一見に如かず
(ひゃくぶんはいっけんにしかず)
百見は一考に如かず
(ひゃっけんはいっこうにしかず)
百考は一行に如かず
(ひゃっこうはいっこうにしかず)
百行は一効に如かず
(ひゃっこうはいっこうにしかず)
百効は一幸に如かず
(ひゃっこうはいっこうにしかず)
百幸は一皇に如かず
(ひゃっこうはいっこうにしかず)
ていうのは初めて知ったけど。
百聞は一見にしかず、の続きはこんなことに | 子供でも分かることわざ格言辞典と慣用句の意味
聞くより見る方が早い、
見るだけじゃなくて、考えることが大事
考えるだけじゃなくて、行動が大事
行動だけじゃなくて、成果が伴わないと、
って確かに仰る通りなんだけど
自分にとっては、まずは”百聞は一見に如かず”だなぁと。”見るだけじゃなくて”というより、”考えるために見る(感じる)ことが重要”というか。
実際に自分が見て、肌で感じたことじゃないとうまく説明できなかったり、想像が及ばなかったり、自信が持てなかったり、わからないことが多すぎる。逆に、非言語情報を人より多く処理しているのかもしれないけれど。
占星術を勉強していても、無料の鑑定掲示板とかで鑑定できない。実際にその人に会ってみないと、正確なところが掴めない、と思ってしまう。(そして完璧主義だから、そんな状態で鑑定できない、となってしまう)
主に仕事で、私は相手の立場に立って考えることができない人間だとよく注意されるのだけど、それは、想像力の欠如ももちろんあるのだけど、想像できるレベルの(非言語)情報が少ないからだ、というヒントを最近得た。体験・体感することがないと、全く想像できないし、理解もできない。逆に、体感できれば一瞬で理解が進む。
当たり前だけど何でも体験できる環境にあるわけじゃないから、それはそれで難しいんだけど、なんだかそのことがわかっただけでも個人的に大きな進歩だった。
それが、相手の靴を履こうとすること(の初めの一歩)なのかなって。(U理論)