それはもうセロリ

ちょっと前にTwitterで「それはもうセロリじゃん」みたいなつぶやきをみかけて、なかなかバズっていたと思うのだけど、どのツイートだったか忘れてしまった。その趣旨はまさに「育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めない」「価値観の相違は仕方ない」のようなことだったと記憶している。(記憶の改ざんだったらどうしよう)

「それはもうセロリじゃん(大意)」という一言でそこまでの意味を含ませられる、言語ってすごいしその人のセンスもすごいと思ったのだが、そもそもこれは山崎まさよしがそのような名曲を作り、国民的アイドルグループたるSMAPが世に広めたという背景があってのこと。あれはもうタイトルが「セロリ」だから、なんならあの曲の内容全て「セロリ」で示すことができるのかもしれない。

万人がイメージする、いわゆる「好き嫌いが分かれそうなもの」の中で、語感や音数などからセロリを選び取った山崎まさよしすごい。他にあるとすれば、例えばトマトとかパクチーとかグリンピースとかだろうか。嗜好品でいえば珈琲とか煙草とかも入ってくると思うが、セロリは全世代・性別不問で、「好き嫌いが分かれる事を理解できる」ものというのがまたすごい。普通の小学生は煙草の味を知らないし、場合によってはパクチーも知らんのではないか。

 

最近人と暮らし始めて、しかも、これまでの人生で交わることのなかった人で、お互いの生活様式が理解できなかったり受け入れがたかったりすることが多々ある。

それは寝巻きの洗濯頻度だったり、ゴミの日にできる限りのゴミを出すか出さないかだったり(伝わるだろうか)、皿の汚れに対する受忍限度だったり。

それぞれ一人暮らし期間が長い三十路半ば同士の同棲生活というのは、そのように異なる生活様式をどの程度すり合わせていけるかが鍵なのだなとこの3ヶ月でよく理解できた。これもTwitterで見かけた意見だけど、「話し合いができるかどうか」だろうと思う。もっといえば、「とことん話し合ってでもこの(人との)生活を続けていきたい」と思えるかどうか。 

この点で、三十路過ぎてからの結婚というのはなかなか難儀だなと思う。

自分は20代の時も同棲をしていた時期があったのだが、それまで実家でほぼ家事をしておらず、最初に一緒に住んだ人から洗濯や掃除の仕方を教えてもらった(有難い)。その時は自分のスタイルなど持ち合わせておらず、生活様式についてぶつかりようがなかったのだ。

 

今回はまだ3ヶ月だけど、自分なりによくやっていると思う。相手もよくやっていると思う。既に相当ぶつかっているが、昨日ふと「同棲生活どう?」と聞いたら即「楽しい」と返ってきた。なんだかんだ私も楽しい。

育ってきた環境の違いを認め合って、価値観の違いを認め合って、それでもお互いを必要として、いけるところまで一緒にいれたらいいなと思う、など。