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過去の私は確かにいたのに消え去ってしまう

思考 ほっとひと息

 昨日は出張で岡山に行ってまして、これでここ最近の出張ラッシュもようやく落ち着いた気がしてます。

https://www.instagram.com/p/BIT6CcBAQhN/

 今回の出張は法人への挨拶まわりだったので、複数名の初めて会う人と楽しくお喋りしてきたわけなんですけど、ふと思い返した時に、なんていうかゲシュタルト崩壊みたいな不思議な感じになりまして。

「文字のゲシュタルト崩壊」が研究されている。これは、例えば同じ漢字を長時間注視しているとその漢字の各部分がバラバラに見え、その漢字が何という文字であったかわからなくなる現象である

ゲシュタルト崩壊 - Wikipedia

 いやゲシュタルト崩壊では全然ないんだけど、つまり全体と部分とがバラバラにみえて(というかみた時に)、わけわからなくなったみたいなことを言いたいのです。

 数時間前にAさんと話していた瞬間があって、自分は確かにそこに存在していたのに、それから数時間経った「今の私」はAさんと話していないし、今ひとりで電車に乗っている。私という存在は1つであって、連続しているはずなのに、今の私と過去の私は別のもの。なんかイメージ金太郎飴輪切りにしたら微妙に絵が変わってる感じ?違うか。

 「過去の私」は「今の私」と少し前まで同一人物で、その瞬間は確かにあったはずなのに、そこには二度と戻れないし、「過去の私」には会えない。それはもう毎日のことで当たり前のことなのに、改めて考えたら不思議。

 

 時間という概念は、考え出すと難しい。仏教的な考えとか、ナチュラリスト・スピリチュアリストみたいな、よくわかんないけどそういう分野のひとたちが「いまここ」を主張するのをよく見かけるし、「一瞬一瞬を大事に」ということもわかるのだけど、本当にあっという間に、全て過去になっていくのですよ。「今」は、「今」と思った瞬間に「過去」になる。「今」は確かにここにあるのに、それはすぐに「過去」になってしまう。ってことを考えると、「確かにあったのに二度とない」ものは「今」かもしれないですね。・・・ほらまたよくわからなくなってきた。

 ただ、「今ここ」に集中するのはいいんだけど、私という存在は、(「今」の変形した)過去の積み重ねでできているわけで、そこに必要以上に縛られるのはよくないけど、全て無視するのは不自然かなぁと。「今」しか考えないということは、時間概念のない動物になれってこととも似ている気がして。go wild的なノリなんだろうか。

 

 タイムマシーンがずっと昔から熱望されているのにいまだお目見えしていないのは(している情報があれば教えてください)、やっぱり時空の壁は地球人にとって大きな限界なんじゃなかろうかと思う。宇宙にいけば、なんか色々崩壊して余裕で壁を越えられそう。っていうか時空の壁がなさそう。イメージだけど。

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