美味なる多面体

”多面体”という単語を思い浮かべた時に、必ずサザンの例のフレーズが流れます。曲のタイトルは忘れているのだけど。「サザンオールスターズ 多面体 歌詞」で検索したら無事「シュラバ☆ラ☆バンバ」であることがわかってすっきりした。

だけど今度はこの曲、歌詞だけみてもどんなだったか全っ然思い出せない。その、”美味なる多面体~”の部分以外が。いや、”Xがすごーいじゃない、Yがうまーいじゃない このむーね(胸)に、じょおーねつ(情熱)フレイム!”も思い出せたのだけど。

観念してyoutubeで検索したら歌真似の動画が出てきて、全っ然似てなかったけどとりあえずどんな曲かは思い出せた。これを歌いこなす、っていうか作っちゃう桑田さんってほんとすごい。

ちなみにサザンオールスターズで最も好きな曲は沢山あるんですけど、ミス・ブランニュー・デイのイントロは最高だと思います。

当方1984年生まれですが、中学2年まではメディアにあまり触れてこなかったというか芸能情報に疎かったこともあり(家にTVがなかったし、多分新聞もとってなかったから)、サザンにはまったのは高校生になってからです。2000年。彼らのデビューが1978年だというから、世代を超えて愛されるってやつはほんとあれですね。

 

で、今回サザンは関係なくて、多面体、について考えていたら件の、”恋人は美味なる多面体~”が流れてきてしまっただけです。

 

人って多面体よなぁ、、ということを、まー常々思ってまして、そしてそれは過去、mixiをよく更新してた時期にも考えていました。

当時、多分大学生だったと思いますが、”事実はひとつなんだけど、それは多面体であって、ある人から見える面と私から見える面は違っている。だけどそれはそれで、各々にとってはまごうことなき真実なのだ(人の数だけ真実がある)”、みたいなことを書いていたな、という記憶はそこそこはっきりと残っているのですよ。若年性健忘症気味の私ですけれど。

そのこと自体の正否は別として、その思考法は当時の自分にとっては結構大きなパラダイムシフトというか、なかなかにハードな目の前の現実を、どう受け入れて割り切るか、1つの落としどころを得た感じでありました。多分、あれが人生で初めての"意識的な割り切り"だったと思う。大人の階段上った感ある。

割り切った結果どうなったかというと、人生で得難き親友?ソウルメイト?のような人と、いまだにいい感じの距離感で付き合っていられるのですけど。もう20年近くになりますかね。ありがたや。

それと、"相手がどう思っているかは関係なくて、自分が大切と思うならそれでいいじゃない"という思考形(?)を意識的にインストールできたのもこの時だった気がします。それまでは、"相手と私は、等価の思いを抱いているべきだ"という観念にとらわれていた気がする。

 

自分から見えている側面だけが、人や物事の全部ではない。むしろ見えてないことの方が多いだろうってことは意識しておかないといけないなぁ、と事ある毎に思ってはいるものの、忘れがちでもある。

ただそう考えるのは、きっと自分の完璧主義が過ぎるからだとも思う。どれだけわかったつもりになっていても、実際全然わかってないことが露見したらショックだから、予防線のように"これは全てではない"って注意を張っているのかなと。

それでも、それが全てじゃなかったとしても、仮に本質ではなかったのだとしても、その時の私にはそう見えていたのだ、それしか見えなかったのだ、という赦しと反省がないまぜになった感情も、大切にしたいとは思っている。(甘えですかそうですか)

 

その完璧主義とやらを仕事に活かせよって思うけど、48組中(12星座×4血液型)、最もズボラ(めんどくさがり?)な天秤座A型にはそれは無理な話でして(´・ω・`)

 

海のYeah!!

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