過而不改、是謂過矣

facebookにも書いたことに追記。

 

実は一昨日・昨日と、4年ぶりに肉を食べました。私のラクト・オボ・ベジタリアンは健康志向からくるものでなく、不殺生とかそっちからだったので、自分の健康はどうでもいいと思ってました。できるだけ他の動物の命を奪わずに生きていけるようになりたかったのです。人はいつ死ぬかわかんないし必ず死ぬんだから、無駄にこの身体にこだわることもしたくないという気持ちもあり。

 

ただ最近、糖分の摂りすぎで一気に太ったこともあり、身体にこだわりたくないといえど非常に快適でなく、というか不快極まりなく、どうしたもんかと思っているところに、やたらと「砂糖の害」的な情報がたくさん入ってくる。ので、どうしても断糖(肉食)を試してみたくなったのです。なんでも自分で試す・やってみることがモットーなので。これもひとつのプロセス。


ベジタリアンをやっているとどうしても糖質が多くなりがちで、減らそうとすると(特別な人──例えば「食べない人たち」に出てくるような──以外は)栄養をサプリメントに頼らざるをえず、それはまたそれで自分のモットーにも反していたりもして(というか過去にサプリの効果を実感したことがあまりない気が)。


実際、食が人生の楽しみと思う人もいると思うけど、私の理想は、食べるために生きるのではなく、生きるために食べたい。生きている間は、精神的にも肉体的にも自由で快適な状態でありたい。というのがあるので、諸々の矛盾や葛藤を踏まえたうえで、大きなゴールに向かっていく途上での決断です。他の動物の命をお借りしようかと。大きな時間の流れの中でみて、いつか返せるようになりたいです。


そんな訳で金曜は名古屋で手羽先・味噌カツ・どて煮を頂き、土曜は親子丼(の具)やら鶏のから揚げやらを頂きました。まぁ肉を頂いてた期間の方が長いのでなんてことはなく、覚えている味でした。これからも当分は肉を頂いて糖分は極力減らして(できれば断って)、様子をみたいと思います。

 

孔子の「論語」で好きな文(言葉?)があって、「子曰、過而不改、是謂過矣。」というものですが、「子曰わく、過ちて改めざる、是を過ちと謂う。」間違ってたと気付いたのにそれを改めないことが間違いだ、ということですね(多分、、そうだよね?)。

 

大きな目的を見失って手段に固執するようになると本末転倒なわけで、新しい情報、新しいやり方を知ったのなら、どんどん試してみたらいいと思う。間違ってたと思ったら、やめればいいだけ。つくづく、失敗はしてなんぼと思うのですよね。それだけ、今のやり方や状態がゆるぎないものになるっていう。

 

(別に浮気を肯定しているわけではないです)

 

論語に学ぶ (PHP文庫)

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