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何かを得たいなら何かを捨てろよ

っていうのを書こうと思って下書き保存していたら、さすがプロ的なエントリが(随分前やけど)。

2015/6/2追記

↓には村上春樹さんのエントリーを貼っていたのですが、期間限定だったので、もう表示されなくなってしまってました。。ぜひ書籍を買って読んでください。。内容をざっくり書くと、たしか美大生みたいな感じの人からの「感受性を身に付けるにはどうしたらよいですか?」のような質問に対して、「痛みを知ること、ノーペインノーゲインですよ」的な回答をしていた感じだった気がする。

 

そして最近このページがよく見られてるのですが、それはタイトルが連続テレビ小説(まれ?)の中のセリフにあったからなのですね。TV観てないもので気づかなかった。

www.welluneednt.com

ノーペイン、ノーゲイン。「苦労なくして、得られるものはない」というのが正しい(一般的な?)意味らしいので、ちょっとニュアンスが違うのだけど、最近ちょうど考えていたこととなんとなく、かするくらいだけどリンクしたので書いてみる。

 

人生は選択の連続だ

わたしは今の会社もそうだし、新卒の会社もそうだったのだけど、日々「選択」を意識させられることが多い仕事をしています。何の仕事かというと、今は転職エージェント。転職希望者と法人とをつなぐ仕事。新卒の会社は採用コンサルだったので、当時はどちらかというと法人寄りだったけども、就活中や内定者時代には、軸だのなんだのってよく考えてました。

転職希望者には、転職の動機とそこから設定される希望の条件があって、私たちはそれに沿った求人を紹介し、彼らはそれらを吟味して、どこに転職するのか、それともとどまるのか、等を選択していくわけです。まさにその選択ひとつが人生に多大な影響を与えるのだから、とてもやりがいのある仕事だし面白いなと思います。

 

とはいえ本来人生というのは、職場選びや家探しやパートナー探し以外の場面も選択の連続なんですけど、そこは結構見落とされがちだなと感じます。

朝に白湯を飲むのか飲まないのか、パンツでいくのかスカートでいくのか、歩くのか走るのか、なんてライトなものもあれば、煙草を吸うのか吸わないのか、勉強会に参加するのかしないのか、彼に意見するのかしないのか、なんてちょっとヘビー(人による)なものもあります。

 

選択=何を得て何を捨てるか

だけどどんな選択にも共通していることは、何かを得るとき必ず何かを捨てるということです。これは「決断」という言葉の説明でよく出てくるフレーズかもしらんですが。つまり煙草を吸うとしたときに、吸うことで得られる恩恵(何があるのか知らんけども)と、「吸う自分(という経験)」とを得る代わりに、吸わないことで得られる恩恵と、「吸わない自分(経験)」を捨てていることになります。処女は処女でありながら処女でなくなるということはあり得ないし、独身貴族は独身でありながら結婚生活を送ることはあり得ないわけです(法律婚の話ね)。

 

得るものより捨てるものを意識するとよい気がする

上記はわかりやすい(下世話な)話ですけども、例えば転職に話を戻すと、給与と勤務地と仕事内容、全てが完璧に揃った案件というのは少ないわけです(条件はここでは仮)。もちろんそれが完璧に近いものを探すのですけど、勤務地と仕事内容はよかったけど給与が希望通りのものが見つからなかったとして。

その時に、(1)給与は妥協してそこに転職するのか(2)あくまでも希望通りのものが出てくるまで待つか(3)そもそも転職やめるか、というおよそ3通りの選択があると思われます。この3つの選択肢は、どれを選んでも必ず何かを捨ててます。それが何かは考えて頂くとして、 この「それを選んだ時に捨てるものは何か」をより意識したらいいのでは、とわたしは思います。それを捨ててまで自分が得たいもの、が明確になると思うので。

※ちなみに、給与も勤務地も仕事内容も全て完璧な案件があった時、捨てるものはないのではと思うかもしれませんが、それでも「転職しない自分」や「勤続年数」を捨てることになります。 自分がそれを望んでいないのなら、気にならないと思いますが。

 

得失は表裏一体

逆にですが、何かを得ている時に何かを捨てているということは、何か失う時には必ず何かを得られる、とも言えると思います。失恋は恋人を失うことではありますが、新たな人と出会う可能性を得ているわけです。何よりも、「失恋をした」という経験を得ていることになります。出会いと別れとかも、よく言われますね。断捨離とかもそうですね。「捨てることで得られる」みたいな。何かを失ってしまって悲しみの底にいる人は、それによって得られたことを意識されるといいのではと思います。

 

どちらも選ぶことはできないから

パラレルワールドが存在しないとして、というかしてたとしても、この世界の自分はもうひとつの平行世界の存在を認識しえないとして、且つ、前回書いたエントリよろしく、この世で同じ瞬間は二度とこないという前提で話を進めると、わたしやあなたの一挙手一投足は、常にたくさんの何か(それはきっと経験と可能性)を捨てて成り立っている、ということをもっと意識してみたらどうだろうかと思います。

 

簡潔にいうと、本当に得たいものと、それに釣り合う代償をよく考えろよってことなんですけど。もっというと、欲張ってんなよってことなんですけど。視野が狭くなるから。欲しいことばかり考えていると、失うものに気づかない可能性があるし、失ったものばかり考えていると、与えられたものに気づかない可能性があるから。

 

とはいえ、かつての上司から教えて頂いた、「選択それ自体に意味はなくて、選んだ方で覚悟決めてどれだけ頑張れるか」ってことが最終的には大事かなと。

 

4/30 8:30追記

 

  ↓この本、「選択」についていいこと書いてある。

PLAY・JOB (プレイ・ジョブ) (Sanctuary books)

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