先日美容院に行きました。おそらくここ10年位は、2ヶ月に1回というペースを乱さずに通っています。今のところは通い始めて3年位になるだろうか。
話しやすくて信頼している美容師さんなので、変なストレスがなく、有り難いです。
それで、久しぶりに前髪を作ってみました。
ごくたまに、前髪作りたい欲求が出てきてしまうのだけど、切ったあと大抵後悔するんですよね邪魔くさくて。だから、切る前にすごい悩みました。結果切ったんだけどさ。
今日書きたいのはその切る前の話で、悩んでいた時に、美容師さん(男性)に、「切ったら女度は上がると思いますよ」みたいなことを言われたんですよ。それで、私は心から「女度については、上がっても上がらなくてもどうでもいいです」って思ったんですよね。思っただけじゃなくて実際言ったんだけど。
それが、なんていうかちょっと感慨深かったんですよ。いや~ここまで来たか~みたいな。大袈裟かしら。でもふと思い返すと、本当にどうでもよくなってるなって思って嬉しかったんですよ。女捨ててるって意識はなくてですね、化粧もしてるし、股広げて座らないしガニマタで歩かないし(どんなレベルやねん)。
でも、何ていうか少し前から、男とか女とか関係なく、誰かと出会った時にこの人素敵だなぁ...好きっ...!!って感じることが何度かあって、それは恋愛感情では全くなく、親愛の情みたいなものだったんですよ。
それで、私はもう男性性とか女性性とか、感じなくなったのかな?と思っていたんですよね。心から湧き上がるときめきみたいなものは俄然あるんだけど、それはオスとかメスとかのなんやかんやではないという。
で、それが別に”枯れた”ことだとは思わなくて、むしろより豊かになった結果の感情なのかなーって。人間が嫌いになったわけでもなし、むしろ好きと思う人は増えた気がする。全っ然うまく言語化できないんだけど、人間愛に近づいた感じ。
自分のことははっきり女と認識しているし、周りからみても確実に女性なのだとも思うし、”恋愛対象”はきっといまだに男性なんだけれども(美しい人は男女とも好きだけど多分イケメンの方が好き)、女であることを必要以上にアピールしたり意識したりする必要がない状況にいることが、嬉しいし有難い。(ハイヒールもスカートも履いてないなそういえば)
これ書いてて思ったけれど、未婚で恋人もいない(する気もない)というのは大きいですね。性を意識する役割が、その分少ないから。
ある人は、母であり妻であり、またある人は彼女であり娘であり、とかするわけでしょ。女性が与えられるであろう”役割”を、いくつも担っているわけですよね。私は母でもなく妻でもなく彼女でもなく、唯一娘ではあるけれど親とは離れて暮らしており。そりゃー女度薄まるわ。
※別に母でもなく妻でもなく彼女でもない人は女ではない、と言いたいわけではなく(当然ながら)、自分に役割が与えられれば多くの人は良くも悪くも意識することが増えるだろうし、それが自分のアイデンティティになったりするのはよくあること。
役割がなくても意識する人や、役割があっても意識しない人いるだろうし。自分の場合は、役割が少ないことも1つの要因なのかなと思っただけ。
まぁ、きっとまた色々変わると思うんだけど、考えていることは。 今のところは、そんな感じです。
- 作者: ローアンブリゼンディーン,Louann Brizendine,吉田利子
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