創造維持破壊について(そんな大げさな)

引っ越し日が近づいてきたので、鋭意準備を進めている。業者さんにお願いするの初めてなのでどきどき...。荷造りちゃんと終わるかしら...。

冷蔵庫と電子レンジはお譲り先が見つかったのだが、洗濯機は不用品回収になった。2008年に購入したのでもう10年選手。まだ普通に使えて綺麗なので手放すのが悲しい。

更に、2年半前に購入したなかなか立派な組み立て式クローゼットも、新居に搬入不可のため不用品回収となった。当時はここに永住する位のつもりでいて、サイズとかあまり考えてなかったけど、ちょっと考え無しだったなと反省。

家具や家電、買うのにはお金がかかり捨てるのにもお金がかかる。どうせいつかは捨てるのに、なぜ買うのか?と言われれば、捨てるまでの生活環境を良くしたいから、という回答になるんだろうけど。創造・維持・破壊全てのアクションには(同等の?)エネルギーが必要と考えれば多少は腑に落ちるだろうか。

どうせ終わるのに、なぜ始めるのか?

どうせ死ぬのに、なぜ生まれるのか?

始まりがあれば必ず終わりが来るこの無常な世の中で、マイルドな反出生主義者としてはふとした時にそういう考えが溢れてしまう。最初から始めなければよいのでは?と。

ジェットコースターは(個人的に絶叫マシーンは大好きなのだが)、一度乗ったら必ず終わりを経験しないといけない。同じように、今はまだ健康な体で元気に生きているけれど、どんな形であれ必ず死ぬ時が来る、息できなくなる瞬間を経験する。しないといけない。そう考えると、無性に怖くなる時があるし、そもそも生まれてこなければこんな怖い思いしなかったのに、と考えてしまう。この生が始まってしまっている以上、折角だしより良いものにしていかねば、との思いはあるけれど。

とはいえ無常の世では、全ての営みが『創造(始まり)→維持(途中)→破壊(終わり)』のサイクルで行われていて、全て当たり前のことなのに、破壊(終わり)だけネガティブなイメージで捉えていることは宜しくないなと反省もする。なんとなく始めちゃって、始めたらそれを維持しようとする。維持できるようになったら執着してしまって、執着するから終わりが怖くなる。大体のことがそういう流れなんだろうな。

だから一番良いのは始めないことなのだけど(反出生主義)、始まってしまった後では、少しでも執着を減らすことが大事になる。それがヨガとか仏教の考えとか価値観なのではなかろうか。最近不勉強なのでちょっと自信ないけど。

 

引っ越しは大変だという話でした。

(そういうことを折に触れて考えてしまうのに、これから新たに同棲開始するっていうのがまさに人間の業という気がして悲しい)